The world of
label
china
PEKIN
Grand hotel de pekin
http://www.chinabeijinghotel.com.cn/
現在の北京飯店(Beijing hotel)がかつてのGrand hotel de pekinです。1900年に設立されたものの、開業は1915年(大正4年)でした。このホテルは北京で最初の国際ホテルでした。このホテルはその名の通りフランス銀行が設立したもので開業当時のパンフレットは下のように、フランス語と英語の表記でなされていました。開業当時は5階建てのレンガ造りでしたが、少なくとも6回は改築されてきたそうです。1930年代はこのホテルの最盛期だったのでしょう、東洋で最も素晴らしいホテルとして海外にも知れ渡っていました。
天壇を描いたこのデザインのラベルは絵柄からして後期のものと思える。天壇が簡略化されてしまっている。
 これらのラベルは初期の天壇デザインのラベルのようであり、比較的入手しにくい方の部類に入るようです。特に左のラベルはこれらの丸型のラベルの最初のものではないでしょうか。枠が小さく中心の天壇のイラストが大きくバランスが少し悪かった。上のラベルのデザインになり、長城のレンガと天壇がうまくマッチした良いデザインとなった。
あまり厚くない紙に印刷されたこのラベルも中国の
印象が強く感じられるものである。
旗のデザインといい、純粋のフランス語使用から
この中で最も古い時代のものであろうが、下の四角の
写真入りのラベルと同じ支配人時代のもの。
徐々にではあるが、新しくラベルを発見している。旗デザイン
からして、初期のものであろうが、左とはまた違った
支配人の時代の物である。
ホテルの写真を中心に配したレアなラベルのいくつかを
確認することができました。みれば、それぞれの支配人
ごとに若干の違いが見られます。調べてみれば、このホテル
にはそれほど長い間でもないのに多くのバージョンを発行
してきたことに驚きを感じます。それだけ、多くの旅行者
がここを訪れ、名を知られたホテルであった証明でしょう。
このラベルはレプリカも作成されている。上の丸型に比べて雰囲気は変ってしまっているが、
これもオリジナルは入手しづらいものです。
 中華人民共和国になった1949年以降の「北京飯店」となった時のものであり、戦後の中国のラベルというイメージが色濃く出ている。
 戦後においては絵画的な表現のものが多くこれもその象徴的なものである。威厳高いものにしようとする表現方法がかえってデザイン的には重く味気ないものになってしまった。
近年?のステッカータイプ。戦後のこのホテルの
ラベルは他に知らないがかつての独特なデザインは
影を潜め、シンプルなものとなってしまった。
 ホテルニューグランド五十年史では、昭和11年に土井慶吉が「北京グランドホテル」が経営破綻から買い手を物色している情報を得て北京にとび、交渉を始めた。この時に風邪をこじらせ談合の途中で帰国せざるをえなかったが、翌年12月再度訪れ買収金額をその支払い方法を双方で最終的に確認することで話はまとまっていました。然しながら、その帰り道体調を崩し、帰国後数日で死去してしまった。もし、彼が病にあわなかったら、このホテルはホテル・ニューグランドが買収していたのかもしれませんでした。交通公社七十年史には「昭和16年(1941)3月26日、日本人の経営となる」という記述があった。あの交渉の後、別の日本人の手に渡っていたようだが、その詳細はまだ得ていない。
 このホテルの絵葉書はあまり見つけられていないので、他の建物の様子は知りません。下のパンフレットの建物とは大きく変ってしまい、現在は更に近代的な建物となってしまいました。ホテルははるか先に天壇を望む場所に建っています。
 ともあれ、北京では最も歴史あるホテルとして多くのホテルラベルが発行されてきました。コレクション的には下のwagons litsほど人気は無いようですが、中国の激動の時代を経たホテルとして貴重なものといえます。
Grand hotel des wagons lits
紫禁城の南東部一帯は1900年の義和団の乱前後に列強国が各国公使館地区として租界的な役割を果たす場所でした。その中に唯一のホテルとして1905年に開業したホテルワゴンリッツ。シベリア鉄道を利用し到達した欧州の客をもてなしていました。ベルギーのワゴンリッツ社が1894年子会社として設立した高級ホテルチェーンの一つで、その名と共にこれらの有名なラベルが今日まで伝わっています。(ボルドーとマルセイユの hotel Terminus、イスタンブールの the Pera Palas hotel、ベルギーの hotel de la Plage in Ostend、モンテカルロの the Riviera Palace などがありました)

 このホテルといえば、このラベルというほど、代表的なラベルです。Dan Sweeneyの代表作の一つでもあり、今なお色あせずに伝わる秀作のコレクターズイアテムとなっています。ラベルは
HONGKONG & SHANGHAI HOTELS LTD.となっていることから1922年以降のものと判断されます。

 こちらのラベルもこのホテルを代表するものといえましょう。ワゴンリッツ社の紋章と同じく二頭のライオンが描かれており、初期のラベルと判断できます。ほぼ同じデザインでいくつかのバージョンもありますが、これら以外のデザインのものはまだ見てはいません。左のラベル同様入手しづらいものです。
 右の絵葉書の左奥にあるのが、横浜正金銀行で、今日でもその建物は残されており当時の様子を伺い知ることができます。中国読みなのか、「六国飯店」という名で当時の地図には記載されていました。ホテルは1950年に売却され清算されてしまいました。現在このホテル自身現在は他のホテルとして利用されていると言われていますが、まだ確認できていません。
 下のパンフレットは貴重なものでその表紙がラベルと同じだからか、滅多に得ることのできないものです。

旅程と費用概算 昭和15年版(14年末及至15年三月調)
地名・旅館名
 昭和15年版の「旅程と費用概算」には左のホテル・旅館名が記載されていました。下の翠明荘の記載はありませんでした。何時の時代のものかは不明です。北京が「北平」と呼ばれたのは辛亥革命後蒋介石の国民政府による南京への首都移転により1928年に「北平」に改称されました。北京が再び首都になり北京と改称されたのは1948年10月の中華人民共和国の建国によってでした。日本軍が侵攻した1937年からは北京の名称を使用したとされるが、これらのラベルには北平の表記のほうが多い。
扶桑館(総局直営)
都ホテル
日華ホテル
日華ホテル別館
東京旅館
燕京ホテル
石田旅館
黎明館
松屋ホテル
豊前屋
増田旅館
黄城館