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| 天壇を描いたこのデザインのラベルは絵柄からして後期のものと思える。天壇が簡略化されてしまっている。 |
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| これらのラベルは初期の天壇デザインのラベルのようであり、比較的入手しにくい方の部類に入るようです。特に左のラベルはこれらの丸型のラベルの最初のものではないでしょうか。枠が小さく中心の天壇のイラストが大きくバランスが少し悪かった。上のラベルのデザインになり、長城のレンガと天壇がうまくマッチした良いデザインとなった。 |
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あまり厚くない紙に印刷されたこのラベルも中国の
印象が強く感じられるものである。 |
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旗のデザインといい、純粋のフランス語使用から
この中で最も古い時代のものであろうが、下の四角の
写真入りのラベルと同じ支配人時代のもの。 |
徐々にではあるが、新しくラベルを発見している。旗デザイン
からして、初期のものであろうが、左とはまた違った
支配人の時代の物である。 |
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ホテルの写真を中心に配したレアなラベルのいくつかを
確認することができました。みれば、それぞれの支配人
ごとに若干の違いが見られます。調べてみれば、このホテル
にはそれほど長い間でもないのに多くのバージョンを発行
してきたことに驚きを感じます。それだけ、多くの旅行者
がここを訪れ、名を知られたホテルであった証明でしょう。 |
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このラベルはレプリカも作成されている。上の丸型に比べて雰囲気は変ってしまっているが、
これもオリジナルは入手しづらいものです。 |
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中華人民共和国になった1949年以降の「北京飯店」となった時のものであり、戦後の中国のラベルというイメージが色濃く出ている。
戦後においては絵画的な表現のものが多くこれもその象徴的なものである。威厳高いものにしようとする表現方法がかえってデザイン的には重く味気ないものになってしまった。 |
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近年?のステッカータイプ。戦後のこのホテルの
ラベルは他に知らないがかつての独特なデザインは
影を潜め、シンプルなものとなってしまった。 |
| ホテルニューグランド五十年史では、昭和11年に土井慶吉が「北京グランドホテル」が経営破綻から買い手を物色している情報を得て北京にとび、交渉を始めた。この時に風邪をこじらせ談合の途中で帰国せざるをえなかったが、翌年12月再度訪れ買収金額をその支払い方法を双方で最終的に確認することで話はまとまっていました。然しながら、その帰り道体調を崩し、帰国後数日で死去してしまった。もし、彼が病にあわなかったら、このホテルはホテル・ニューグランドが買収していたのかもしれませんでした。交通公社七十年史には「昭和16年(1941)3月26日、日本人の経営となる」という記述があった。あの交渉の後、別の日本人の手に渡っていたようだが、その詳細はまだ得ていない。 |
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