収集したホテルのパンフレット
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日本のホテル
パンフレット
Nikko Kanaya Hotel
 戦前で、記載の中に中善寺湖畔に観光ホテル(日光観光ホテル)を建築中というところから、1939〜1940年頃(昭和14〜15年)のもののようです。宿泊料は 朝、夕食付 で 金八円より となっています。
 交通の記述では、 省線 上野駅-日光駅 は 2時間半
          東武鉄道 浅草雷門-東武日光 が 2時間半 
1940頃 (26x18.1)

 日光東照宮例祭における、金谷ホテルの案内。1927年6月2日に行われたときのものです。

 日光東照宮例祭要覧 (Great Temple Procession at Nikko)
日光東照宮例祭は六月二日と十月十七日の二回に亘り之を行ひ神輿渡御の祭例は当宮唯一の舊儀にして遠く御鎮座の時に始まり今猶ほ幕府時代に行はれしものと大差なし神輿は前日二荒山神社に渡御し翌日供奉二百餘人相従ひて同社を出発し御旅所に渡御即日還御し給ふ御旅所にては荘厳の式にて祭典を修め東遊の舞曲を奏す行列供奉の諸役は舊慣に據り地方各町村民之を奉仕し老杉森立の下威儀堂々たる百物揃ひの行列は将に一巻の絵巻物を拡げたるが如し当日沿道内外人の参観者隊伍堵列し弊館は最も好所なる沿道に約二十間に餘る天幕を張り座席を施し御投宿客人の便宜に供す

1927 (26x31)

 4つ折のこのパンフは結構新しく思えるが、電話番号からして戦前のもののようである。最初の1940年頃のものでも、電話番号は日光の1番と7番である。これは7番だけ。
 下にもほぼ同じ内容のパンフがあります。それは1番と7番です。
(42X24)

 表紙、中のイラストはほとんど同じです。中側の左下の写真の違いがありますが、文面はほぼ同じです。
(42X24)



 戦前のもの。新館が20円以上、本館が13円以上というもの。
 兄弟である弟の富士屋ホテルの紹介もある。
(19.5X17.5)折りたたみ時