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 東京のホテルは慶応四年竣工の「築地ホテル館」が始まりとされている。その年の九月には明治と改元された頃のことです。日本人による初の洋式ホテルは大火により僅か四年でその姿を消してしまいましたが、浮世絵などに多く描かれ今日でもその様子を知ることはできます。中央区築地六丁目のあたりでした。
 こうした古いホテルの歴史に関しては「日本ホテル略史」から始まり、村岡實氏の「日本のホテル小史」、長谷川堯氏の「日本ホテル館物語」、木村吾郎氏の「日本のホテル産業100年史」などに詳しく記述されているのでホテルの歴史に興味ある方は是非読んでいただければと思っています。然しながら、これらのホテル史からももれてしまうような小さなホテル、旅館などの宿泊施設も数多くあったのも事実です。古い資料を得ても知ることのできないことも多く、空しく簡単な記述で終わってしまうこともあります。ラベルがあってもその場所の特定さえ出来ないというのもなんだか寂しく思えます。まだまだ調べてゆかないといけないようです。
 確かに「日本ホテル略史」が今日までのホテル史における基礎的なものではあったのですが、後世の研究家によってその記述にいくつかの違いなどが指摘、修正されていることも事実です。「日本のホテル産業100年史」にはそうした指摘があり史実が改められている。ここではそれらの点を踏まえ、かつて実在し、今日ではもう失ってしまったホテルの名をみてみたいと思います。全てではないですが、それらのホテルのラベルが存在していることも事実です。ホテルの存在を知り、ホテルラベルを眺め、またそのかつての姿を想像する作業でもあります。
 「築地ホテル館」焼失後、明治の初年(6年頃?)の北村重威氏の「築地精養軒ホテル」があった。築地釆女ケ原海軍用地の一部を払い下げられ開業していたとされ、今日の木挽町であり、かつての「銀座東急ホテル」の場所でした。明治42年にヤン・レツル氏の設計による3階建ての洋風建築に建て替えられたものの、大正12年の関東大震災で焼失してしまいました。このホテルのラベルは今日まで残り、日本のホテルラベルの代表としての存在感を示しています。
 明治20年代に入り、日比谷近辺には「
東京ホテル」「帝国ホテル」の名が登場し、築地には「メトロポールホテル」も開業していました。このホテルは元米国公使館所有の建物を横浜の元クラブホテルのJ・W・ホール氏らによって開業されたものでしたが、後に帝国ホテルに吸収されました。然し吸収合併されたのち3年で廃止が決定してしまいました(明治43年)。「東京ホテル」は日比谷門のすぐ横に今日の日比谷公園側に向かって建っていました。当時はお堀があり、日比谷門は埋め立てられたため現在の地形と違っていますが、現在の日比谷公園前交番の反対側の「日比谷マリンビル」のあたりです(当時の地番は麹町区有楽町三丁目2番地)。明治20年に開業した「東京ホテル」は「帝国ホテル」が開業する明治23年までは東京一のホテルとして多くの海外からの賓客を迎えていたといわれています。帝国ホテル百年史にはこれに関する記述があります。同史では、明治25年に立退きを命じられたとされるが、明治29年の地図にも東京ホテルはこの場所に記載されており、明治30年の「ジャパンタイムス」創刊号にもこの場所でのホテルの広告が掲載されている。正面のお堀は明治32年に埋め立てが始まったとされたといいますが、巻末の年表では明治32年1月19日に「日比谷門から三井本館前を経て帝国ホテル前山下橋に至る濠池の埋め立て完了」となっている。いづれにせよ、埋め立ての明治32年以降この「東京ホテル」は、その後愛宕山へ移転したようで、マレーハンドブックの1913年版に広告が出ており、その広告では「SAKAMAKI SHOW,Proprietor」となっていました。日比谷にあった頃の「東京ホテル」の名は日比谷公園の花壇の中にひっそりと立つ碑(ホセ・リサール氏の滞在を記念して建てられた碑)に印されています。
 明治37年発行の「東京名覧」では、東京に5つのホテルがあると紹介しており、日比谷の「
帝国ホテル」、上野の「精養軒」、愛宕山の「愛宕館(東京ホテル 愛宕館)」、築地の「メトロポールホテル」、京橋の「センツラル・ホテルHOTEL CENTRAL」の名がありました(帝国ホテル百年史)。また詳細はわかりませんが「日比谷ホテル」の名も残っています。このホテルラベルを得ているものの、その詳細が全く不明なのは残念なことです。余程小さかったのでしょうか。明治39年にはタグを紹介している、「龍名館」が神田駿河台に開業しました。

 大正に入っては、大正4年東京駅構内に「東京ステーションホテル」が開業。鉄道院が建設し、精養軒に賃借し五百木竹四郎氏が支配人となりました。昭和8年には鉄道省直営となり「東京鉄道ホテル」と名を変えました。大正10年には「大森ホテル」、大正11年には「新宿ホテル」、大正12年に品川に「京浜ホテル」、そして大正13年には「丸ノ内ホテル」が開業しました。このホテルの開業式には東郷平八郎元帥がテープカットをしたという逸話も残っています。創業時から戦後までは永代通り沿いにありました。同じ年に「中央ホテル」(内幸町)、「万世ホテル」(神田旅籠町)が開業しました。そして、ラベルを入手した「山形ホテル」のことも忘れることは出来ない。このホテルに関しては川本三郎氏の「荷風と東京」に記されており、大正6年に麻布に開業した。永井荷風が一時期繁く通ったそうだが、ホテルは昭和の初め頃には営業を辞めてしまったという。創業者の山形巌氏の子息が俳優の山形勲氏だったと知り興味深く感じるも、勲氏自身を知る人も少なくなってしまった。

 昭和に入って、昭和4年に「御園ホテル」、昭和5年に「電気ホテル」(上野)、「東洋ホテル」(茅場町)が開業したと「日本ホテル略史」には記述がありますが、これらのホテルの詳細は前述の書籍の中にも無く、ラベルも「東洋ホテル」くらいしかみたことがありません。昭和6年に「麹町万平ホテル」(昭和14年廃業)が、昭和7年には、「二・二六事件」で有名になった「山王ホテル」、軽井沢万平ホテルの麹町支店に続いて「八洲ホテル」(日本橋)が開業しました。昭和10年の「京橋ホテル」、昭和12年の「三全ホテル」が開業。昭和13年には宝塚ホテルの小林一三氏による「第一ホテル」が客室総数六二六室の当時東洋最大規模のホテルを新橋に開業しました。戦前では、日中戦争、太平洋戦争へと進み開業は殆どなくなり、むしろ戦前末期には軍に借上げられたり、空襲により焼失、廃業したホテルも多くなりました。

 (※「京浜ホテル」に関しては、日本ホテル略史にも大正12年に品川に開業す。とだけ記述があるものの、その後の記述は見られない。このホテルは近年労働争議で廃業した品川駅前の「京品ホテル」とは別のものと判断しています。というのは、「京品ホテル」自体が戦前からの旅行ガイド等には一切記述もなく、(実際そうしたホテルも多かったようですが)「京品ホテル」自身が元は小林旅館で、昭和5年に改築されたと言われているところから別のものである)最近入手した戦後の昭和20〜30年代の英語による「京浜ホテル」のパンフレットには、その住所が「東京都品川区大井北浜川町1135番地」となっており、ホテル略史の「京浜ホテル」はこのホテルのことであろうと考えていますが、それ以外の記述、情報も無いのでまだ確定はできないところです。)

昭和15年版 「旅程と費用概算」(日本旅行協会)から 東京のホテルと旅館(所在地は当時の地名)
ホテル 所在地 地区 主な旅館館
帝国ホテル 麹町区内山下町1-1 麹町 柊屋支店、旭館、植木屋、松葉館
東京鉄道ホテル 麹町区丸ノ内2-1 赤坂 対翠館
丸ノ内ホテル 麹町区丸ノ内1-1 日本橋 名倉屋本店、千代田旅館、呉服橋龍名館、
日比谷ホテル 麹町区内幸町 相模屋、大盛館大野屋、宮城館
東洋ホテル 日本橋区茅場町2-8 神田 龍名館本店、龍名館分館、今城館、
八洲(ヤシマ)ホテル 日本橋区通一丁目6 昌平館、日昇館、初谷支店、清水館、
第一ホテル 芝区新橋1-32 都賀家、萬代家、廣島屋、日芳館、森田館
山王ホテル 麹町区永田町2-73 本郷 花水館支店
中央ホテル 麹町区内幸街1-6 下谷 名倉屋支店、井筒屋、福仙、針久上野支店、
ホテル芳千閣 神田錦町3-19 山下館、群玉舎上野館、宇仁館支店、
三全ホテル 麻布区市兵衛町2-3 飯島旅館、都乃田
新宿ホテル 淀橋区角筈1、新宿駅前 紀伊国屋、橘家、伊勢屋
大森ホテル 大森区新井宿2-1515 京橋 有明館大野屋、城東館大野屋、春日館、
御園ホテル 下谷区御徒町3-8 芙蓉館、六方館、せき旅館
ホテルは表のものくらいだが、旅館は数多く、リストは一部
 終戦後東京に限らず日本の殆どのホテルは進駐軍の接収を受けました。終戦直前に消失、廃業したホテルの全容を知ることはできません。戦後、こうした接収によって、その当時存続したホテルを知ることになります。以下に終戦直後接収されたホテルの一覧を「続日本ホテル略史」などから記述します。
「続日本ホテル略史」<(昭和23年)観光課 進駐軍其他外国人ホテル利用状況一覧表>と昭和20年代開業ホテル
ホテル 所在地 収容人員 記 事
帝国ホテル 麹町区内山下町1-1 349 接収 昭和20年9月
丸ノ内ホテル 麹町区丸ノ内1-1 270 接収 BCOF用 昭和20年9月
第一ホテル 芝区新橋1-32 721 接収 昭和20年9月
大森ホテル 大森区新井宿2-1515 74 接収 N.W.A.専用
山王ホテル 麹町区永田町2-73 146 接収(20年5月25日全焼とされるも、戦後米軍に
より改修され接収が続き解除されることなかった)
ホテルヤシマ 日本橋区通一丁目6 75 終戦後GHQの将校宿舎として接収したが、23年接収解除
され5月1日貿易庁直営のホテルとなる。支配人佐藤荘六。
ホテルテイト 千代田区大手町 170 昭和22年 民間貿易再開を期に貿易庁直営ホテルとして開業
ホテルトウキョウ 千代田区丸ノ内一丁目 116 昭和22年 民間貿易再開を期に貿易庁直営ホテルとして開業
アンバサダーホテル 千代田区富士見町 36 昭和23年3月10日九段の大松閣を改造し開業
フェアモントホテル 千代田区九段 126 昭和21年開業
松平ホテル 新宿区南元町 66 昭和24年開業 (旧松平伯爵屋敷跡)
雅叙園観光ホテル 目黒区中央 213 昭和24年1月開業 
芝パークホテル 港区芝公園 345 昭和24年5月開業 
サンバンチョウホテル 千代田区三番町 262 昭和25年開業 (初のプールがあるホテル)
東京ステーション
ホテル
東京駅 108 昭和26年再開(昭和20年の空襲により被災、
休業していた)
ホテル国際観光 千代田区丸ノ内 146 昭和26年開業 (東京駅丸ノ内前に開業)
日活ホテル 千代田区有楽町 219 昭和27年4月開業(現在のペニンシュラホテル東京の地)
ダイヤモンドホテル 千代田区麹町 67 昭和27年7月開業
ホテル藤 港区麻布 53 昭和28年10月開業(後に麻布プリンスホテルとなる)
高輪プリンスホテル 港区高輪 192 昭和28年11月開業(当時は「プリンスホテル」)
山の上ホテル 千代田区神田駿河台 85 昭和29年1月開業
戦前のもは当然だが、この昭和20年代に開業したホテルにもそれぞれ独自のホテルラベルがありました。
半分以上のホテルは既になくなりましたが、それらのラベルだけがその当時の輝きを残しています。
 1951年(昭和26年)9月、日米安全保障条約により、翌昭和27年多くの接収されていたホテルは解除された。その後外国からの来客が増え始め、日本経済の復興、東京オリンピック(昭和39年)を前に第一次ホテル建築ブームが到来することになり、今日まで続く多くのホテルが開業しました。
 昭和30年年代では、1955年(昭和30年)に「赤坂プリンスホテル」が開業。1959年(昭和34年に「銀座日航ホテル」、1960年(昭和35年)には「ホテル・ニュージャパン」、「銀座東急ホテル」、1961年(昭和36年)は「パレスホテル」、「東京観光ホテル」。1962年(昭和37年)には「ホテル・オークラ」が、翌昭和38年には「東京ヒルトン・ホテル」、昭和39年に「ホテル高輪」、「羽田東急ホテル」、「東京プリンス・ホテル」などが開業しました。その後昭和40年代にも多くのホテルが開業し、今日まで続くホテル、既に閉鎖したホテルなど競争社会の中では仕方の無いことかもしれません。近年になるにつれ、ラベルはタグラベルに変り、それらも少なくなっている今日です。ラベルへの思いも薄れてしまっているようですね。ラベルからホテルの華やかなりし日を知り、古を訪ねる役に立てればと思います。