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神戸オリエンタルホテル
Kobe oriental hotel
1870-1995
兵庫県神戸市中央区京町25
http://www.orientalhotel.jp/


1868年元旦、神戸が開港しました。神戸開港が行なわれる数日前から欧米諸国の艦隊が神戸港沖に集結していたといわれます。
 「居留地の区域は東は生田川、西が鯉川、北は西国街道、南が海岸で、この地区を126区画に分かち、4回にわたって競売にふされた・・」(村岡実氏「日本のホテル小史
」)
 オリエンタルホテルの歴史に関しては横浜の居留地ほどの正確な研究がされてないか曖昧な歴史としか残っていない。下のように、このホテルの絵葉書は数多く残されていることから、多くの人に愛され、興味をもたれたホテルであったようです。
 明治26年に居留地87番、明治30年には英国人A.Hグルームにより株式会社組織となった。明治40年に海岸通り6番へ。その時の新館は当時東洋で1つというオーチスエレベーターの設備があったといいます。設計はドイツ人ゲ・ラ・ランデであった。
 大正6年には東洋汽船が買収し、大改造を行いアメリカ人ケント・クラークを支配人とした。大正15年神戸の政財界の名士が集まり東洋汽船から株式を譲り受け、株式会社オリエンタルホテルが誕生しました。太平洋戦争で戦火を受け昭和20年5月戦災にあい相当部破壊されてしまった。その後ようやく部分的に再建し昭和24年再発足した。その時点ではトアホテルがオリエンタルホテルの名を使用していたため、「ニューオリエンタルホテル」として再開しました。その後増築をしながらも、昭和39年25番の京町に移転しました。昭和62年ダイエーが筆頭株主に、そして平成7年(1995年)の阪神大震災にて全壊取り壊しとなりました。
 オリエンタルホテルのホテルラベルは数多くあります。その時々の経営者によりデザインを変えてきたが、海岸通り6番に移ってからは旗のデザインの後は「OとH」を中心にデザインされたものが主流となり色あいの違いのものが続いていました。
 海外にも名が知られた神戸オリエンタルホテルは終戦間際の損害によってその栄光は終焉してしまったといえます。海岸通り6番のあの建物は絵葉書でしか味わうことのできない空間として消えてしまいました。戦後京町に移ったホテルも阪神大震災でその名が消えてしまいました。2010年震災前の地にこの名を引き継いだホテルが開業された。当初はロゴも変り居留地時代からのオリエンタルホテルのエキスはもう感じられないとして敢えて継承していませんでした。時がたち、このホテルのかつてのオリンタルホテルの正統な継承としての取り組みがあるようでしたら他の歴史あるホテルと同様にラベルパネルの提供も実現できると幸いです。時代が変わり、社会も環境も変わり新しいオリエンタルホテルとしてその名を世界に知らしめる存在となってもらいたいものです。
 2010年3月、阪神大震災によって焼失した同じ地に再びオリエンタルホテルの名が復活しました。経営母体がPlan Do Seeであり、ウェディングに重きを置いている感のあるホテルながら、かつてのオリエンタルホテルの歴史を意識しながら、新しい今日のホテルの発展をしているようです。上記のラベルは2015年に頂きましたが、これを見るに、矢張りかつてのオリエンタルホテルが源流かと思わせる。とはいえ、居留地時代から既に100年以上経ち、その後の変遷からして、もう新しい姿のオリエンタルホテルを目指すべきなのかもしれません。これからも意識して、残されるべきラベルの発行をしてもらえれば嬉しいのだが。