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大阪ホテル
Osaka hotel
1903.1-1941.2
大阪市東区今橋
 明治の始めの内外人雑居地内の梅本町の草野丈吉氏による「自由亭」が明治14年に中之島へ移転し「自由亭」開業。明治32年に組織された大阪倶楽部がこれを一部買収し「大阪クラブ・ホテル」となる。然し明治34年に出火消失、翌年大阪ホテル株式会社が組織され「大阪ホテル」が新たに開業。折りしもこの年明治36年は第5回内国勧業博覧会が大阪で開催されており、その集客を目論んだものの経営面では失敗し、支配人である大塚卯三郎氏に所有者の大阪市は明治41年大塚氏と売買契約を結んだ。その後大正元年(1912)年に尼野源ニ郎氏に経営を譲渡、新しい会社組織の大阪ホテルが誕生した。その後大正8年に名古屋ホテルを買収し支店とし。翌年には浪速ホテルを合併、「今橋ホテル」とし今橋支店とした。その後大正13年に大阪ホテル本店は火災で全焼。今橋を本店としてその後営業を続け、昭和16年大阪紡績に譲渡しホテル業を廃止するに至った。(日本ホテル産業100年史に詳しく記述されている)
 
これらのホテルラベル、タグラベルは大正元年後の大阪ホテルのものと思われ、大塚氏が支配人、経営者であった頃のラベルは他にあります。その頃のものは大塚氏の名や大阪のシンボル「みおつくし」をデザインしたものが使用されており、その大きさとデザイン性は秀逸なるものとして残されるべきラベルの一つでもあります。その後もいくつかロゴマークの変更などあり、それらの詳細がわからないのは残念なことであります。パンフレットに関しても中之島時代のパンフレットはまだみたことが無く、あれば貴重な資料といえます。

1939年
中之島にあった消失前の大阪ホテル