このホテルに関する記述は富田昭次氏の「ホテルと日本近代」に少し詳しく記載されている。朝鮮半島への入口という位置の関係から多くの旅人がこの地から朝鮮半島、中国大陸へ旅立ったことでしょう。そうした舞台となったこの地の物語は今はもう遠い過去のことでしょうが、いくつかのラベル、今も残る二代目の建物から決して忘れてはいけない歴史の交叉点と言えましょう。残念ながら初代の建物は失火により焼失してしまい絵葉書でしかその様子を知ることができません。
ホテルラベルは左のものの大小と黄色の鉄道院時代のもの、更に丸型の2種まで確認しています。タグラベルは上のものしか見たことがありません。これは鉄道院(I.G.R)時代のもので、その後の歴史からしてもまだ他にタグラベルはあるのではないでしょうか。これだけですがユニークな仕上がりに感心できます。
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