戦前においては神戸を代表するホテルの一つでした。下田菊太郎氏の設計によるハーフティンバーの外壁をもち、海岸沿いのオリエンタルホテルに比べ環境的にも眺望的にも恵まれたホテルでした。
初代はドイツ人の社長で、大正3年イギリス人の社長となった。昭和16年の太平洋戦争の勃発から再びドイツ系ホテルに戻り、湯浅恭三氏が社長となり昭和19年には川崎重工業に身売りし廃業してしまった(「日本のホテル小史」(村岡実著)より)。
終戦後、戦災で営業不能となっていたオリエンタルホテルが一時期此処を使用していたが、その後は神戸外国倶楽部として今日に至っています。
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