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 軽井沢万平ホテルが東京進出し麹町万平ホテルを開業した翌年、昭和7年7月に開業したホテルが「八洲ホテル(やしまホテル)」でした。東京日本橋の交叉点すぐにあり、通りをはさんで向かいには「白木屋」がありました。白木屋はこのホテルが開業した昭和7年12月に日本で初の高層建築物火災で有名となってしまいました。ここは昭和42年に日本橋東急百貨店となり、平成11年に今日のCOREDO日本橋となっています。
ヤシマホテル
Yashima hotel
1932.7-1956
東京都中央区日本橋2丁目

 ヤシマホテルのラベルはこのタグ以外には2枚のホテルラベルを確認しています。戦前はヤシマホテル。戦後になりホテルヤシマとなっていました。

万平ホテル様からお借りしたラベル
 八洲(やしま)ホテルは、現在のビジネスホテルの草分けともいえる「コマーシャルホテル」を名乗ったホテルでした。近くには日本橋三越、高島屋があり、顧客は関西方面の人が目立ち、高島屋の関係者も多かったそうです。昭和20年3月の空襲により、一部が被災し一時的に川崎航空機に貸与しましたが終戦と同時に進駐軍に接収されました。この時点で「ヤシマホテル」として進駐軍の将校向けに営業を再開しました。
 ヤシマホテルはその後昭和23年に早々と接収を解除され(多くは昭和27年まで接収されていました)、政府の貿易庁直営ホテルとしてバイヤーズホテルとして使用されました。他のホテルが接収解除となる昭和27年このホテルも自由営業に戻り「ホテルヤシマ」として再開しました。然しながらその後は長く続かず昭和31年には閉鎖されてしまいました。
 今日この地に立ってみると、建物自体は取り壊されてはいないようで、当時の面影が感じられます。
 <マッチラベル>
マッチラベルにはホテルラベルとは違った味があるようです。むしろ自由に作られているようで、日本橋の欄干、遠くに富士山、そして城らしき姿も見えます。
昭和12年頃の絵葉書です。屋上から永代通りを日本橋から東京駅方面に見たところです。